青木昌彦先生が亡くなった。にわかには信じられないままである。
世界的な経済学者としての業績はもちろんだが、何よりも人格的に素晴らしい方だった。旺盛な好奇心、誰とも分け隔てなく接する懐の深さ、そしていつも弱いものを気遣う心のあたたかさ。
一昨年、琵琶湖疏水の川べりのコンクリ化工事のために、蛍が減っていくことを先生が憂えて、水道局に抗議をされたことがあった。「かくかくしかじかの事情なので、森田くんにも応援をお願いしたい」と連絡が入った。
慌ててご自宅に駆けつけると、先生が水道局の職員4人と向き合って応接室に堂々と座っている。
「応援を頼む」と言われて、これから何が始まるのか、怒号が鳴り響くのか、理路整然とした演説が始まるのかと、ドキドキしながら見ていると、先生が、いつもとまったく変わらない声の調子で「やっぱり、生き物は、大切にした方がいいと思うんですよ」と、しごく真っ当なことを、極めて謙虚な言葉でおっしゃって、僕は拍子抜けするとともに、なんだか強く心打たれた。
先生の願いが通じたか、コンクリ化の工事は一区画を除いて中断したが、蛍はすっかり減ってしまい、今年も3、4匹みかけた程度。かつては、数え切れないほどいたという。
今年の春、先生とは中学以来の親友という高橋悠治さんのコンサートにご一緒させていただいた。しみじみと、心から嬉しそうに演奏を聴かれ、帰りは夜の丸太町通りを、「風が気持ちいいねぇ」なんて言いながら、歩いて帰った。家の前で大きく手を振り、笑顔で別れたのが最後になった。
僕の知っている先生は、いつも元気で、いつも颯爽としていた。だから、元気な姿しか思い浮かべることができない。「心配かけて悪かったねぇ」と、いまにも声が聞こえてきそうである。
またいつか会える気がする。その「いつか」が「いつまでも」やってこないというのが、死なのだろうか。
まだとても実感できない。先生のことを思うと、寂しさよりもあたたかさばかりが心に広がる。
本当にありがとうございました。せめてその一言だけでも、きちんと挨拶をしたかった。
心からご冥福をお祈りいたします。
鹿ヶ谷にて
森田真生